シャネルも絶賛!オシャレを磨くならサンローランを学べ!
- 2016-03-31
イヴ・サンローラン、ブランドの誕生
◆ディオールに戻れなかった訳とは?
除隊になり、仕事に戻りたかったイヴ。しかし、ディオールは新たなデザイナーが存在し、イヴの帰る場所はもう無かった。
◆ファッションブランド、イヴ・サンローラン誕生
ディオールで一緒に働いていた同僚はイヴの元に集結した。恋人のピエールは、なりたくなかった”ビジネスマン”という職業をイヴの為にすることを心に決めた。頭を下げまくる日々が続いても、次のコレクションに間に合わせる為、絶対にブランドを立ち上げる必要があった。
イヴが病院から出てから1年という年月が流れた頃、やっと資金繰りのめどが立った。フランスの有名グラフィックデザイナーがYSLの優雅なロゴを作り上げ、独立して初めてのショーが行われた。新聞各紙は賛否両論あった。(1962年・イヴ26歳)
出典先:http://www.team-lens.com/heartstrings/2013/december/2013_1229.html
◆日本とイヴ・サンローラン
日本とイヴ・サンローランの関わりをひとつご紹介します。西武百貨店の新しい後継者、堤清二氏はダサい百貨店をオシャレにしようと考えていた。そこで、パリに住む実の妹がイヴ・サンローランのオートクチュールコレクションに招待されているのを知ったので、協力を求めた。
西武はパリへ技術チームを2年も派遣して、オートクチュールラインを日本で生産する権利を獲得したそうです。イヴもこの事で来日しています。
◆オートクチュールからプレタポルテ(既製服)へ
復帰したイヴは、その頃”ニュースター”と、もてはやされた「クレージュ」のように革新的にはなれなかった。
しかしピエールのお陰で経営も安定し、ショーでも好評を得る。時代はオートクチュールからプレタポルテへ大きく流れが変わっていく。
◆デザインのヒント
イヴがデザインのインスピレーションを得るのは芸術家達だった。彫刻家の”ニキ・ド・サンファール”やアメリカのポップアーティスト”アンディ・ウォーホル”などだった。ウォーホルとは友達で、フランスにウォーホルが来た時、イヴ、ピエールと三人で食事することもあった。
ウォーホルも同性愛者だった。コレクションにイヴはウォーホル的な要素を入れたデザインをオートクチュールで発表する。若者には人気だったが、年配者には不評だった。新聞各社はこれは、イヴが古いファッションと決別したと書いた。
▼イヴの人気の復活となった1965年の7月に発表した”モンドリアン・ドレス”これは、オランダの抽象画家モンドリアンの作品の構図を取り入れたデザイン。(イヴ29歳)
出典先:http://midcenturymodern.blog110.fc2.com/blog-entry-1363.html
イヴのブティック「リヴ・ゴーシュ」
◆「リヴ・ゴーシュ」
出典先:http://matome.naver.jp/odai/2143837843707776301
1966年イヴの新しく出したプレタポルテラインブティック「リヴ・ゴーシュ」は若者を中心に大人気となる。
メダルの付いたチェーンベルトは特に大人気の商品。メンズライクな「スモキング」と名付けられたパンツスーツも人気を博した。当時、パンツを女性が穿くのは画期的なことだった。ファッションの最先端を行くオシャレな人々は「リヴ・ゴーシュ」に押し寄せた。
▼スモキング
出典先:http://ameblo.jp/fujiking-haiji/entry-11370763816.html
大成功の光と影
◆ココシャネルも絶賛
1967年のオートクチュールコレクションでもイヴは大成功を収めた。84歳のシャネルにオマージュを捧げるものだった。
シャネルはテレビ番組で、イヴを後継者と呼んでいたようだ。
◆異文化
イヴは異国、マラケッシュ(モロッコ)にのめり込んでいった。
▼写真はフランス人の画家ジャック・マジョレルが住んでいたものを買い取った「マジョレル庭園」。現在は一般公開されている(有料)
出典先:http://ugayagarden.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html
この頃、ローリングストーンズもマラケッシュを訪れている。異文化を求める時代でもあった。その影響を受け、発表したコレクションは評論家に酷評されることになる。しかし、若者ウケは良く、イヴは崇拝されるようになる。
▼1968年に初めてサファリ・ルックを発表。
世界的ブームを巻き起こす。
出典先:http://yabushun.exblog.jp/16239759/
後にイギリスのファッションデザイナーになる「ポールスミス」。彼もイヴファンの若者の中の一人であった。毎回イヴのコレクションを見ていたと言っている。
◆戦略家?若者のカリスマになったイヴ
1971年。イヴは新しいポートレートを撮る時、ヌードを撮ってくれと言った。
出典先:https://twitter.com/115change/status/489387843991531520
このスキャンダラスな写真は、掲載を拒否する所もあり、マスコミは騒ぎ立てた。この事は、若者の間では神話になり、イヴは大きな価値のある無料の宣伝活動を行ったようなものだった。かなりの戦略家である。この時、イヴは35歳だった。
▼1971年、この時のコレクションのポスター
出典先:http://www.vogue.co.jp/blog/taco/archives/3924
© Fondation Pierre Bergé – Yves Saint Laurent, Paris
第二次世界大戦の占領時代を彷彿とされるデザインもあり、批判されるがこう言った。「若者は戦争時代を知らない。大切なのは着たいと思うことだ」と、批判を一蹴した。
出典先:http://www.vogue.co.jp/blog/taco/archives/3924
© Fondation Pierre Bergé – Yves Saint Laurent, Paris
◆夜遊びとドラッグ
イヴはクラブル・セットに通い、ファッションやアート、文化関係の友人たちと夜な夜な酒を飲み交わした。日本では高田賢三(KENZO)もいたと言われている。更に酒だけにとどまらず、キフ、アヘン、LPS、コカインなど、ドラッグも危険を良く知らずに使っていた。
低迷と別れ
◆ストレス
恋人でありビジネスパートナーのピエールは、事業拡大の為、ライセンス契約を広げる。ボールペンや水着にまでもYSLのマークが付き、イヴはファッション界のみならず、一般の人々にも有名になる。街へ出れば知らない人からサインを求められ、だんだんストレスが溜まっていった。
さらにショーが年2回から4回に増え、さらに多忙を極めたイヴは40歳になり、これからどういう方向でやっていくか分からなくなっていた。1976年のコレクションは大絶賛されたり、「自己満足だ」と批判されることもあった。けれどもこのコレクションは”芸術レベル”の作品と言われている。
◆別れ
ピエールとイヴの感覚は次第にズレていく。イヴは鬱とドラッグで弱っていった。もうデザインをする力も湧かず、1970年代後半にはアシスタントのアイデアを多く取り入れるようになる。「リヴ・ゴーシュ」のラインからも手を引いた。
とうとうピエールと別れるイヴ。しかし、二人のビジネスパートナーとしての関係は終わらなかった。イヴは抜け殻のようになっていった。
▼左(イヴ)、右(ピエール)
出典先:https://www.hm.com/jp/life/fashion/the-hit-list/2015/09/the-most-iconic-couples-of-all-time
輝きのち、悪夢
◆束の間の輝き
1990年1月のショーで復活したイヴ。アルコールを断ち、身体も絞った。この時のコレクションは強力なライバルが多かったが、イヴ・サンローランが一番だった。完璧にエレガントだったと賞賛された。イヴもまるで生まれ変わったかのようにスリムで、にこやかで活力があった。
▼オートクチュールコレクション1990-91AW
出典先:http://blogs.yahoo.co.jp/morioka_hisamoto/35332209.html
◆予期せぬ悪夢
大成功のコレクションの夜、パーティーが行われたが、早朝に電気事故により火事になってしまう。イヴはヘリコプターで救出され無事だったが、これがきっかけで再び鬱になってしまう。この時、イヴ53歳。
◆贅沢と借金
元恋人ピエールはイヴと別れても周りの人間に指示を出し、イヴを見守り続けた。贅沢し放題だったイヴは、医療費、静養費などがかさみ、借金をするまでになっていった。ピエールに新恋人も現れ傷つくイヴ。コレクションに集中する力もなくなっていった。
イヴ・サンローランの最期
◆イヴ・サンローランの功績
1989年にはパリの証券取引所で、ファッションのブランドとしては初めてとなる株の公開をした。また、1993年には「デ・ドール賞」受賞、2001年にはレジオンドヌール勲章(三等)授与など、会社としても、デザイナーとしてもイヴ・サンローランは確固たる地位を確立した。
◆ブランドの買収と引退
地位の確立とは裏腹に、2001年にはグッチのグループに会社は買収され、翌2002年にはパリのオートクチュールコレクションで引退。大好きなマラケッシュの家で隠居生活を過ごした。後継者もなく、イヴの時代は終わったのであった。
2007年にはレジオンドヌール勲章(二等)授与などの更なる名誉も得たが、翌2008年6月1日、ガンで71歳の時に永眠した。カトリーヌ・ド・ヌーブや、サルコジ大統領など約800人近くが参列し、イヴの死去のニュースは世界中に伝えられた。
まとめ
後継者はいなかったものの、イヴのセンスや精神を受け継ぎ事業は今も進行形だ。しかも、今でも活躍中のデザイナーにそのエッセンスは確実に受け継がれ、生き続いている。
実際、今でもサンローランの服やバッグは大人気だし、時代がカジュアルになろうとも、デザイナーが変わろうとも、その芯にある「エレガント」さや「芸術性」は健在だ。
余談だが、イヴは大の犬好きであった。度々写真に可愛がっていたわんこ達の姿がある。多忙を極め、精神を病んでいたイヴにとって最大の癒しだったかもしれない。
天才デザイナーの生涯の歩みを知り、YSLの製品を見る目がちょっと変わった気がする。
▼愛犬達とイヴ
出典先:http://petomo.net/I0001023
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